今日は、吹奏楽の大会が終わって2度目の診療でした。
前回は、大会明けが影響して、少し体重は減っていたけど、コンクール自体は、食べる励みになっただろうが、その反面、疲れが出たのだろうという主治医の見解でした。
学校に行ける体重は34.1kg。
それに対して、退院後2ヶ月経ってもまだ32kg。
1ヶ月に1kgペースで増えているものの、このピッチで行けば、9/8に32.8kg。10/8に33.8kg。
それでも登校が許可される標準体重の75%である、34.1kgには足りません。
最大の励みとなる吹奏楽のコンクール参加を目標にしても、食べる勢いが上がらなかったことは残念でした。
最高の状態でも食べれなかったことから、早く学校に復帰したいなら、受験も控えているし、早めの入院を提案されました。
主治医「もし入院することになっても、今回は行動制限はしません。
あなたは圧力をかけても食べられるタイプではないから。
だけど、入院するとなったら、今回は鼻チューブをした方が、自分も得だと思わない?」
もちろん、お姉ちゃんの答えは、入院も、鼻チューブもNO。
まだまだ自分でできると言い張りました。
そして迎えた、1週間後の今日の診察。
このところのお姉ちゃんは、吹奏楽のコンクールという励みもなくなり、夏の暑さも伴って、どんどん食が凝り固まっていました。
ササミとキューリと玄米と梅干ししか食べない。
どんなに食べさせようとしても
お姉ちゃん「気持ち悪いのに、無理に食べたら吐くよ」と
半ば威めいたことも言い出す始末。
ママとしては、「吐いてもいいから食べろ」とは到底いえません。
だって「吐き始めたら最後」だと思うのです。
今の時点で、お姉ちゃんの診断は「回避制限性食物摂取症」となっています。
やせ願望が起因していないから、再発もしにくいでしょうし、何かの弾みに拗れて発症したに過ぎないと思います。
今回完治したら、おそらく、本人が一番、再発を避けたいと思うと思うのです。
だけど、摂食と嘔吐を繰り返したとしたら、症状としては「やせ症」と変わらない。
そこから「やせ症」へと拗れていくのではないかというのが、ママの最大の心配事でもありました。
今回の診察で、主治医はすぐに見据えたようでした。
お姉ちゃんから話を一通り引き出した後
主治医「入院時よりも食べるスタミナが弱くなっているようですね。
今、あなたはお腹痛に対しての恐怖症が強くあるんです。
腹痛自体は、胃腸が悪いわけでも何でもなくて、腹痛があっても食べられるのだけど、恐怖症から食べられなくなっているんです。
これに対しての治療は、心と体に作用させる必要があります。
でもこれは、今みたいな通院では難しい。
それは何かというと・・・
まず心に関しては、怖さを減らす薬があります。
今、あなたに強くかかっている「心のブレーキ」を「いけるかもね」と感じられるようにする薬・スリピリド。
これはスタミナの切らしづらくする作用もあります。
そして体の面では、リハビリが必要です。
無茶食いではなくていいけれど、お腹が痛くても、胃腸の筋肉を動かす必要があります。
楽じゃないのよ。
けれど、鼻チューブをすることで、楽に2000kcal取れるようになります。
今回は、何キロで退院って言うのではなくて、2000kcal取れるようになったら退院ということにしましょう。
どう? 鼻チューブ、了解してくれる?」
しばらく間があったのち、お姉ちゃんは「はい」と
小さく回答しました。
主治医「けれど、すぐに入院というのではなくて、1週間、あなたのチャレンジを見ます。
但し、入院の予約だけはしておくということで、もし1週間に500g増やすことができたら、キャンセルしてもらって大いに結構です。
1週間のチャレンジを見て、伸びがなければ、当初の退院3ヶ月後に3kg増えてなければ入院というのよりも、早めに入院を決めましょう」
お姉ちゃんもわかっていたと思うけれど、もう入院は決定したものと、ママは感じました。
そして、前回の入院時と同様、かなりホッとしました。
いろんな励みを用意して、期待を胸に、手を尽くした結果がこれでしたから。
一番は、お姉ちゃん自身が、自分の病気に気付き、これではいけないと感じて、本気で治療に向き合うしかないと思います。
お姉ちゃんに足りないのは、危機感です。
本当に自分が、やばい状況にあって、しかしそれは自分の意識次第で変えられるのだと気づくことが肝要。
こうなったのは心の事故。
そうは思うけど・・・
「親がついていながら・・・」
「そんなに痩せるまで、何で気づかなかったの?」
「摂食障害は大抵、母子関係」
「あなたが厳しすぎるから」
「ちゃんと構ってないから、構ってほしいからこうなった」
「下2人に手を取られて、お姉ちゃんは放ったらかしだから」
そんな言葉がママの周りで、こだまするように回っています。
何が正しいのかわからないから、自責の念から晴れることはありません。